東南アジア紀行?タイ山地社会の旅 ?

チェンライ旅行記

Yunnanさんの旅行記

テーマ:歴史・文化・芸術

旅行記タイトル:東南アジア紀行?タイ山地社会の旅 ?

旅行期間:1990/07/30〜1982/08/16

旅行記の内容:チェンマイ郊外の山地社会、ラフの人びとの村を訪ねたときのフィールドノートをまとめた拙文です。
ラフの人びとは中国、ミャンマー、ラオス、タイなどの山地社会に暮らすエスニック集団。
宗教人類学の目線からラフの宗教者、ツーボーについての調査報告です。


報告者 菅原壽清

目次
1、はじめに
2、タイにおけるラフの人びと
  1)ラフの人びとの居住空間
  2)ラフ・ナーの人びと
  3)ラフ・ラバの人びと
3、ラフの人びとの宗教
  1)仏教と伝統的宗教
  2)農耕儀礼
  3)ツーボーの祭壇と儀礼
4、若干のまとめ
 
 <この報告は「ラフの人びとの社会と宗教」と題して、麗澤大学東南アジア研究会篇『東南アジア山地世界におけるエスニック集団』に1997年発表した論文を基に、写真を追加して作成したものである>


旅行日程
1990年 北タイ・ラオス調査 麗沢大学東南アジア研究会
旅行目的:タイ北部の山地社会の人びとの生活事情について調査
期間:7月31?8月17日
7月31日(火)Dep NRT 18:25 NW27 → Arr Bkk22:50
8月 1日(水)Dep BkkTG Bkk  → Arr Chiang Mai
   2日(木)Chiang Mai滞在 (Chiang Mai大学高地民族研究所CHOB副所長)
   3日(金)Dep Chiang Mai発  → Arr Chiang Rai
   4日(土)?5日(日)Chiang Rai滞在 Myanmarとの国境Go1den Triangle
   6日(月)?8日(水)Chiang Rai滞在 山地の村 Chiang Rai泊
   9日(木)Dep Chiang Rai→ Arr Chiang Mai
  10日(金)Dep Chiang Mai → Bangkok 夜行列車.(車中泊)
  11日(土)Arr Bangkok→ Dep BangkokQV426 BKK16:30→ Arr Vientiane18:00
  12日(日)?16日(木)Vientiane滞在 資料収集 Vientiane泊
  17日(金)Dep BangkokNW28 BKK 06:50 → Arr NRT 14:55


1991年北タイ調査 麗沢大学東南アジア研究会
旅行目的:タイ北部の山地社会の人びとの生活について調査
期間:8月24?9月8日
8月24日(土) Dep NRT AI309 12:20 → Arr Bangkok 16:30 Bangkok 泊
  25日(日) Dep Bangkok TG104 12:00 → Arr Chiang Mai 13:00
   26日(月) Chiang Mai 滞在、Chiang Mai 大学高地民族研究所
   27日(火) ?31日(土) Dep Chiang Mai → Arr Chiang Rai →Payao
9月 1日(日)  Dep Payao → Arr Mae Sai → Chiang Rai泊
   2日(月)?4日(水) Chiang Rai 滞在 Chiang Rai教育大学泊
   5日(木) Dep Chiang Rai → Arr Chiang Mai
   6日(金) Dep Chiang Mai → Arr Bangkok 列車泊
   7日(土) Bangkok 滞在
   8日(日)  Dep Bangkok AI308 0:35 → Arr NRT 10:25

1992年 北タイ調査 麗沢大学東南アジア研究会
旅行目的:タイ北部の山地社会の人びとの生活について調査
期間:8月6?16日
8月 6日(木) Dep NRT19:00 NW 27 → Arr Bangkok23:15 7日(金) Dep Bangkok → Chiang Mai Chiang Mai大学
   8日(土) Dep Chiang Mai Chiang Mai →Payao →ArrChiang Rai
   9日(日) Dep Chiang Rai → Arr Mae Kok
  10日(月) Mae Kok → 山地社会の村調査
  11日(火) Dep Mae Kok → 山地社会の村
  12日(水) Dep Chiang Rai → Arr Mae Sai 山地民族の村
  13日(木) Dep Mae Sai →Chiang Rai →Arr Chiang Mai →Bangkok 夜行列車
  14日(金)?15日(土) Arr Bangkok滞在
  16日(日) Dep Bangkok06:30 → Arr NRT14:55

写真:チェンマイ郊外の山地社会、ラフの人びとの村を訪ねたときのフィールドノートをまとめた拙文です。
ラフの人びとは中国、ミャンマー、ラオス、タイなどの山地社会に暮らすエスニック集団。
宗教人類学の目線からラフの宗教者、ツーボーについての調査報告です。


報告者 菅原壽清

目次
1、はじめに
2、タイにおけるラフの人びと
  1)ラフの人びとの居住空間
  2)ラフ・ナーの人びと
  3)ラフ・ラバの人びと
3、ラフの人びとの宗教
  1)仏教と伝統的宗教
  2)農耕儀礼
  3)ツーボーの祭壇と儀礼
4、若干のまとめ
 
 <この報告は「ラフの人びとの社会と宗教」と題して、麗澤大学東南アジア研究会篇『東南アジア山地世界におけるエスニック集団』に1997年発表した論文を基に、写真を追加して作成したものである>


旅行日程
1990年 北タイ・ラオス調査 麗沢大学東南アジア研究会
旅行目的:タイ北部の山地社会の人びとの生活事情について調査
期間:7月31?8月17日
7月31日(火)Dep NRT 18:25 NW27 → Arr Bkk22:50
8月 1日(水)Dep BkkTG Bkk  → Arr Chiang Mai
   2日(木)Chiang Mai滞在 (Chiang Mai大学高地民族研究所CHOB副所長)
   3日(金)Dep Chiang Mai発  → Arr Chiang Rai
   4日(土)?5日(日)Chiang Rai滞在 Myanmarとの国境Go1den Triangle
   6日(月)?8日(水)Chiang Rai滞在 山地の村 Chiang Rai泊
   9日(木)Dep Chiang Rai→ Arr Chiang Mai
  10日(金)Dep Chiang Mai → Bangkok 夜行列車.(車中泊)
  11日(土)Arr Bangkok→ Dep BangkokQV426 BKK16:30→ Arr Vientiane18:00
  12日(日)?16日(木)Vientiane滞在 資料収集 Vientiane泊
  17日(金)Dep BangkokNW28 BKK 06:50 → Arr NRT 14:55


1991年北タイ調査 麗沢大学東南アジア研究会
旅行目的:タイ北部の山地社会の人びとの生活について調査
期間:8月24?9月8日
8月24日(土) Dep NRT AI309 12:20 → Arr Bangkok 16:30 Bangkok 泊
  25日(日) Dep Bangkok TG104 12:00 → Arr Chiang Mai 13:00
   26日(月) Chiang Mai 滞在、Chiang Mai 大学高地民族研究所
   27日(火) ?31日(土) Dep Chiang Mai → Arr Chiang Rai →Payao
9月 1日(日)  Dep Payao → Arr Mae Sai → Chiang Rai泊
   2日(月)?4日(水) Chiang Rai 滞在 Chiang Rai教育大学泊
   5日(木) Dep Chiang Rai → Arr Chiang Mai
   6日(金) Dep Chiang Mai → Arr Bangkok 列車泊
   7日(土) Bangkok 滞在
   8日(日)  Dep Bangkok AI308 0:35 → Arr NRT 10:25

1992年 北タイ調査 麗沢大学東南アジア研究会
旅行目的:タイ北部の山地社会の人びとの生活について調査
期間:8月6?16日
8月 6日(木) Dep NRT19:00 NW 27 → Arr Bangkok23:15 7日(金) Dep Bangkok → Chiang Mai Chiang Mai大学
   8日(土) Dep Chiang Mai Chiang Mai →Payao →ArrChiang Rai
   9日(日) Dep Chiang Rai → Arr Mae Kok
  10日(月) Mae Kok → 山地社会の村調査
  11日(火) Dep Mae Kok → 山地社会の村
  12日(水) Dep Chiang Rai → Arr Mae Sai 山地民族の村
  13日(木) Dep Mae Sai →Chiang Rai →Arr Chiang Mai →Bangkok 夜行列車
  14日(金)?15日(土) Arr Bangkok滞在
  16日(日) Dep Bangkok06:30 → Arr NRT14:55

ラフの人びとの社会と宗教

一 はじめに
  (省略)
二 タイにおけるラフの人びと
 一 ラフの人びとの居住空間
 現在、タイではラフ (自称;Lahu/Laho Na)の人びとのことを、英語でラフ(Black Lahu/Yellow Lahu)とか、タイ語でムーソ(Mussur)と呼んでいる。
チェンマイ大学高地民族研究所の統計によれば、ラフの人びとは 411ヵ村、11、152家族、60、321人がタイ北部のチェン・ラーイ、チェン・マーイ(Chiang Mai)、メーホーソン(Mae Hong Son) 、中部地域のターク( Tak)などの山地地帯を中心に居住しているという。

*001 撮影:1990.08.00(チェンマイ大学高地民族研究所)

特に、チェン・ラーイ、チェン・マーイ周辺の山地地帯には、ラフの人びと全体の85%もが集中して生活を営んでいる地域である。
また、タイ国内の山地社会に住む人びとの中で、ラフの人びとは11%を占め、三番目に多い人びとであるという。

*002 撮影:1990.08.00(高地民族研究所・展示資料メオのシャーマン)

 タイに居住するラフの人びとは、リスやアカなどの人びとと共に同じ語支に属し、タイでは言語や服装などの違いによって、黒ラフ(BlackLahu) 、黄ラフ(Yellow Lahu) 、その他(Other) の三グループと、さらに下位に幾つかの支系に分けられている。
その三グループの人数の割合は、統計によれば多い順に次のような構成からなっている。
黒(赤)ラフのグループとしてはラフ・ニー(Lahu Nyi)の人びとが46%、ラフ・ナー(Lahu Na)の人びとが18%、ラフ・シェレー(Lahu Shelee) の人びとが13%である。

*003 資料:タイ北部の山地地域に居住する多様な人びと

また、黄ラフのグループとしてはラフ・シー(Lahu Shi)の人びとが20%である。
ラフ・シーの人びとは、さらにラフ・シー・バラン( Lahu Shi Ba Lan・17%) とラフ・シー・バンキオ( Lahu Shi Ba Keo ・ 3%) の二つの支系に分けられている。
さらに、その他のグループとしてラフ・クーラウ (Lahu Ku Lao )とラフ・ラバ( Lahu La Ba)の人びとが合わせて 3%である。

*004 資料:中国雲南省の民族分布図、多様な人びとが居住

 村落の家族構成は、1981年の調査では、ラフ・ニーの人びとが一村落平均 16.9家族で、一家族の平均人数は 6.2人、ラフ・ナーの人びとは30.8家族で、 5.9人、ラフ・シュレの人びとは28.9家族で、 6.0人、ラフ・シーの人びとは24.5家族で、 5.2人である。
これらの調査からみて、一村落当たりの人口構成は、平均で約25家族が住み、一家族約 6人、村に 150人前後の人びとが住んでいることになる。
別の資料によれば、これらの人びとの平均寿命は必ずしも高くなく、ある民族の場合、 116人の村で、 0?14歳が48人、15?44歳が55人、45歳以上は13人、このうち60歳以上は 4人という報告もある。

*005 資料:中国雲南省南部地域に居住するラフの人びとの分布図

 これら各支系の人びとの主な居住地やその他の特徴としては、次のような点があげられている。
黒ラフのグループに属するラフ・ニーの人びとは、主にタイ北部のチェン・ラーイとタートン(Tae Ton) との間のメー・コック(Mae Kok) 川両岸などに住み、アニミズムに基づいた宗教施設を持ち、各々の家でも一隅に祭壇を持っているという。
また、ラフ・ナーの人びとは、チェン・ラーイ近郊の山に住み、タイへの移住は比較的新しく、生活様式は他のラフの人びとと類似点が多いが、タイに移住している人びとは大半が敬虔なクリスチャンであるといわれる。

*006 資料:タイ北部、ミャンマー地域に居住するラフの人びと(文献:James A、Matisoff'The Dictionary of Lahu' 1988 University of California Press. )

さらに、ラフ・シェレーの人びとは、1950年代以降にタイ北部のドーイ・アン・カーン(Doi Ang Kang) などの山中に移住してきたという。
黄ラフのグループに属するラフ・シーの人びとのうち、ラフ・バランの人びとはメ・タェン(Mae Teang) などに住み、大部分は政治的理由によりラオスからタイへ逃れてきたという。
さらに、ラフ・バンキオの人びとは、半数近くがミャンマー時代に入信したキリスト教徒であるという。
さらに、その他のグループとして白ラフと呼ばれるラフ・クーラウの人びとがおり、主にラオスとラオスに近いチャンセン(Chiang Saen) に村があり、他の民族と同様に農耕生活を営んでいるという。

*007 資料:タイ北部に移住してきた人びと

 調査を行った地域はタイの最北部に位置するチェン・ラーイ県で、ミャンマーとラオスに国境を接した地域である。
チェン・ラーイ県の西側には標高千?二千メートルの山地が北から南へと連なり、東側はメコン川に接して盆地や平野が広がっている。
チェン・ラーイ県の中心がチェン・ラーイ市で、この地域の行政の中心として古くより栄えてきた。

*008 資料:タイ北部に居住するラフの人びと

この市の北側をミャンマーから流れ出たメー・コック川が流れ、メコン(Mae khong) 川にそそぎ込んでいる。
チェン・ラーイから舟でミャンマーとの国境の町タートンへ行く途中、この川をはさんだ両岸の平地にはタイの人びとが、上流の山地一帯にはラフの人びとをはじめとして他の多くの人びとが居住している。
また、チェン・ラーイ市から車で一時間半ほど北上すると、チャンセンやメー・サイ(Mae Sai) に至る。
チャンセンはメコン川をはさんでラオスと接する国境の街、メー・サイはミャンマーと接する国境の街で、付近の山地一帯にも多くの人びとが居住している。
以下では、二つのグループの人びとについてみてみたい。

*009 資料:ラフの人びと(写真は絵はがきより)

 二 ラフ・ナーの人びと
   (省略)

 三 ラフ・ラバの人びと
 訪れたラフ・ラバの人びとが住んでいる村はチェンラーイの西北約二〇キロの地点にある。
ここに行くにはメーコック川を舟で上り、途中のカレンの人びとが住む村から徒歩で行くか、または別のルートを途中のアカの人びとが住む村まで車で行き、歩いて村に入るかの二つのルートによる。

*010 資料:チェンライ周辺(写真はパンフレットより)

 メーコック川沿いのルートは、十人ほど乗れるモーターボートで約一時間ほど上る。
チェンラーイ市内のすぐ北側には、ミャンマーに源を発し、ほぼ西から東に横切ってメーコン川と合流する中級の川が流れている。
この川の船着き場からは、上流のミャンマーとの国境の町タートンまで往復する定期便や臨時の川舟があり、仕事や生活、また観光などに、この川を利用する人びとも多い。
ただ、メーコック川は、雨季には山間部で降る朝夕の雨を集めて濁流となる。
川幅は狭い場所でも20?30メートル、広い所では 100メートル近くにもなり、陸上よりは便利であるが一方では危険な川でもある。
近年では、上流での森林伐採やタイ国内での焼き畑による森の消失などにより、雨季には急激な増水による被害が毎年のように繰り返されている。

*011 撮影:1990.08.04(雨後のメーコック川)

 現在、森林は政府によって全面的に伐採を禁じられ、山には植林が行われているが、近年にいたるまで木材の輸出や輸出穀物の増産のために乱伐や乱開発が行われ、森林の破壊が急速に進んでいった。
そのために、山地に居住する人びとに対しても樹木の伐採や焼畑を禁止し、定住化政策がとられている。
焼畑農耕は同一箇所で 2? 3年連続して耕作を行うと土壌の肥沃度が低下するために、新たな耕地を切り開いてそこに移らなければならない。
再び元の耕地に帰っ
てくるのは二次林で覆われる 5? 6年、あるいは10年後である。

*012 撮影:1990.08.06(焼畑が行われていたメーサロンの山地)

こうした焼畑による半定住の移動農耕は、いわば森という環境の中で生み出された農耕形態であるが、近年では人口の増加に伴い焼畑のサイクルが短くなり、こうした自然農法は森林の消滅と草地の拡大化を起こし、水害などの自然破壊を引き起こす原因となるという理由から、政府による厳しい指導もあって消滅の道をたどってきた。
一部の地域では、緑が回復しつつあるものの、従来からの畑作農耕による伝統的な暮らしから抜け出ているわけではなく、今もタイ北部の山地地域に居住する人びとにとっては森林保護と暮らしの狭間で困難な状況下に置かれている。

*013 撮影:1990.08.06(焼畑が行われていた山地)

 上流をめざし、30分ほど行くと、両岸には山がせまってくる。
このあたりから上流、特にタートンまでの流域には、ラフの人びとの小さな集落が多数ある。
20年ほど前までは、両岸は鬱蒼とした森林に覆われていたといわれるが、森林の伐採により山肌は荒れ、畑作の継続などもあって、緑は回復していない。
ただ、所どころに高級材であるチークの植林地があり、青々とした葉をつけて勢いよく伸びているのが目に留まる程度である。

*014 撮影:1992.08.09(メーコック川河畔)

 カレンの人びとが住む村には一時間ほどで到着する。
この村は戸数50軒、人口 300人ほどのやや大きな集落である。
川に面して村があり、周辺に水田が開かれ、背後になだらかな山が連なっている。
船着き場を中心に集落が造られ、かつては周辺の山々の森林伐採に活躍した象が、今も飼われている。
ここまでは地形的に比較的安全なこともあってか、訪ねる人びとも多い。
ここからは、徒歩か象の背に揺られ、いくつかの山を越えてラフの村をめざすことになる。

*015 撮影:1992.08.09(メーコック川河畔のカレンの村)

また、この村の対岸の近くには、私たちを案内してくれたボランティアの方達が活動の拠点としている山地社会の人びとのための救援センターが開かれている。
センターではアヘン患者を家族と一緒に一定期間住まわせて、その間に病気の治療を行い、同時に農業技術も収得して自立の道を得る機会を提供することを目的としており、人びとが抱えている多くの問題を少しでも解決しようとタイや日本、その他の国々の民間のボランティアが協力して開設している施設である。

*016 撮影:1992.08.09(92年当時の救援センター)

 他方、陸上から村を訪ねるときには、チェンラーイから橋を渡って、川沿いとは別ルートで途中タイの人びとが住む村落を通過しながら北西に車で行き、山中をしばらく上って行くと道路の終点に着く。
道路の終点は、車をUターンさせたりマーケットが開かれたりする少し広い空間になっている。
タイでは、バスや個人経営の乗合小型トラックが一般的な交通手段となっおり、希望の場所まで行くと自由に乗り降りすることができる。
この山の周辺には、多くの集落があり、買い出しやその他の用事で町に出かけ、また帰って来る起点ともなっている。
道路の終点は谷間になっており、ここからは歩いて急坂の道を登り、それぞれの村へと帰って行かねばならない。

*017 撮影:1990.08.07(山への入口)

 川沿いの谷間の細い山道を登って行く。
雨季の季節でもあるためか多数の樹木が鬱蒼と茂り、樹間から涼しい風が吹いていた。
このあたりは照葉樹林地帯の南限に当たる地域とされている。
なかに、日本の竹とは少し異なって、数十本の太い竹が一所に群生して茂り、そうしたかたまりが何カ所にも生えているのが見える。
タイの平地に住む人びとにとっても、山地に住む人びとにとっても、竹と人びとの暮らしには深い関わりがあり、竹は住まいや生活の道具、また宗教的な祭具を作る素材として、さらには若芽は食料としても利用されている。

*018 撮影:1990.08.07(竹の子)

途中に滝などがあり、30分ほど谷間の道を登って行くと山の中腹に出て急に明るく、日差しが強くなる。
数年前まで焼き畑を行っていたのであろうか、黒く焼け残った巨木の根が所々に立っており、竹や雑木などの二次林の低木が生え、その間に植林をしたチークが勢いよく伸びている。
チークは植林して数年は他の植物よりも抜きんでるために成長が早いといわれ、三年後訪れたときにはチークの葉が生い茂る山道を登って行った。

*019 撮影:1990.08.07(二次林、チークの森)

 なだらかな谷間に出た。
谷間の空間に水田が開かれ、稲が栽培され、また山の東斜面には畑地が開かれて陸稲やトウモロコシ、野菜などが植えられている。
この地域では、籾種は五月に播種され、八月に穂が出揃うという。
水田にも畑にも出穂前の青々とした稲が伸びて風に揺らいでいた。

*020 撮影:1990.08.07(二次林、チークの森)

 水田の向こうのなだらかな山の南斜面にラフの人びとの家が見える。
ここまで来るのに、麓から約一時間を要した。
めざす村である。
水田を過ぎた所に、小川に二本の丸木で橋が掛けられている。
ここを渡って、山の斜面を上って行くと、傾斜を利用して家が建てられていた。
村から周辺の様子を見ると、村は山の曲がり角に位置し、ちょうど東西が交差した場所に開けていることになる。

*021 撮影:1991.08.30(ラフの村)

この村の人びとは、この山の谷間や斜面を水田や畑地に開いて暮らしを立てている。
ラフの人びとの食生活を支える重要な作物は、焼畑農耕と水田による稲作と穀物栽培とである。
ラフの人びとの食料の中心は米であり、稲作は陸稲の粳米が中心で、祭りや祝い事の餅用に糯米も作り、この他家畜の飼料用としてトウモロコシなどの穀物栽培が行われている。

*022 撮影:1991.08.30(ラフの村)

 ただ、この村の地形をよく見ると、山の稜線近くは用土分の流出と連作障害による地肌の露出も見られ、水田稲作と比べて定住による畑作農耕の困難さが伺える。
さらに遠くには畑地の休養地らしき二次林の雑木が生え、牛が放牧されているのが見える。
雨季の季節でもあってか、全体に緑で覆われているものの、その景観を見る限りでは、豊かな場所とは必ずしも言えそうもない。

*023 撮影:1991.08.30(ラフの村)

近年、政府の定住政策により、この村の人びとも新しい場所に移住ができず、新たな畑地を開墾することができないままに、数年が経過している。
特に、平地との交流が深まるなかで、自給自足を原則としてきたラフの人びとも現金収入の必要性が高まっており、畑地が痩せ地化して行くことは稲作の継続を困難にし、また貧富の差が生じるなど、村の存亡にも関わる重大な問題となっているようだ。

*024 撮影:1991.08.30(ラフの村)

 一般に、ラフの人びとの村は、人びとが居住する空間と神が住まう空間・聖林、畑などの農耕を行う空間からなり、また村の組織は村長とその助手、古老やツーボー(to-bo)と呼ぶ呪術宗教的職能者、この他呪術者などからなっているという。
村長は政府などとの対外的な折衝の仕事を行い、ツーボーは村人から神の目とか神なる人と呼ばれ、村の宗教行事の指揮をとり、呪術者は村長の助手を務める。

*025 撮影:1990.08.07(お世話になったツーボーのCHさん)

人びとが居住する空間の外には、神が住まう聖林があり、そこには森の神が鎮まる細い木の柱で造った小さな神の家があるという。
神の家は木の棒の先端を割って、そこに碗状の木皿を挟み、中に米・酒・ローソクなどが供えられたものである。
アカの人びとの聖林は、樹木が中心であるのに対して、ラフの人びとの聖林はこの神が依る柱(図参)が中心で、この聖林には、村人は月に一・二回、宗教者は毎日夕方お参りをする。

*026 資料:James A、Matisoff'The Dictionary of Lahu' 1988 University of California Press. より

 さらに、新しい土地に移住して村を造る村建てにあたっては、村長や宗教者、古老などのリーダが適地の選定を行い、適地が決定すると、翌日聖林の木を切って、宗教者の家の神である柱を建て、次いで村人の手で祭りを行う共同の広場を造る。
ツーボーは神の家に牡豚を犠牲にした肉一片、ローソク、塩、茶の葉、煙草などを供えて村人の平安を祈り、その後各自の家を自由に建てるが、森の木を切る前に、森の神に対して、三角形の漏斗状にした木の葉に米・ローソクを入れて挟んだ柱を立てて、許しを乞わねばならない。

*027 資料:James A、Matisoff'The Dictionary of Lahu' 1988 University of California Press. より

家は二本の棟持柱を建てた、高床の切妻式住居で、床下には祭祀用の鶏や豚などが飼われている。
また、村の入り口には、日本の勧請縄に似た境界を示す注連縄を張って内と外の区分とする。
アカの人びとが木造の鳥居に似た門を建てるのに対してラフの人びとは注連縄を用いる。
村人はカヤで綯った太い注連縄を村の入り口の道の両側に立つ樹木に掛けて張り、鬼の目や小さな竹籠に小石を入れた呪具を吊り下げる。
小石は村に近づく悪霊を打つための脅しであるという。
また、門には大型の鬼の目を挿す。
これらの注連縄は悪霊の侵入を防ぐ呪具であるが、村建てや稲作儀礼とは、直接には関係なく、ラフ・シェレの人びとは正月に掛け替えるという。

*028 資料:James A、Matisoff'The Dictionary of Lahu' 1988 University of California Press. より

 訪ねた村は標高 650メートルの所に位置し、38世帯、 191人が住む集落である。
このあたりの山地地帯も七?八月の時期、昼間の気温は40度を越えるが、夜になると急速に温度が下がり長袖のシャツが必要で、二月頃の時期には、夜は霜が降るほど冷え、囲炉裏が必要であるという。
人びとの住居は、基本的には移動を前提としているために、どの家も木と竹の素材を用いた高床式の切妻造りになっている。

*029 撮影:1991.08.30(ラフの村)

 人びとはここに10年前に移住してきた。
その前は、ここから 2時間位離れた場所の高地に20年間住んでいたが、ミャンマーから移住してきた頃には、何回も移動を繰り返していたという。
この場所に移住してきた当時は、村の周囲は鬱蒼とした森林地帯であったが、年々陸稲の栽培のために焼き畑を繰り返しているうちに周辺の木を切り尽くしてしまい、 7年前からアドバイスを受けて、水田稲作に取り組んでおり、隣接して住んで居たヤオの人びとからも土地を購入して水田を広げてきたという。
かつては、この山の周辺ではケシの栽培が行われていたといわれ、政府はアヘンの撲滅のためにも定住化政策を進め、稲作のための水路造りなどに援助を行っているという。

*030 撮影:1991.08.30(ラフの村)

 この村の空間構造をみると、入口に境界を示す注連縄などの標識は見当たらず、空間構造も外観的にははっきりとしない。
全体の配置は、集落を中心に川、水田、畑地、休養林、山地の自然の地形からなっている。
村の入り口が川によって隔てられ、橋を渡って村に入る。
そして南斜面に固まって集落があり、中央に別のラフの村に通じる道が村の背後の山稜へと続き、さらに各戸別に通じる枝道がある。

*031 撮影:1991.08.30(ラフの村)

 各家は傾斜を利用して建てており、村のやや高い所に狭い空地と子ども達が遊ぶ小さな家がある。
この村にも、村長、ツーボーと呼ぶ呪術宗教的職能者、呪術師などが存在している。
ツーボーの家はこの空間に接して比較的高台にあり、村長の家の方はやや下の中央に近い斜面にある。
どの家も大きさはほぼ同じであり、村長の家が特に大きな家というわけでもないが、集会用のためか他の家よりもベランダが倍位い広い程度である。

*032 撮影:1990.08.04(ラフの家)

 集落の西側に裏山から流れ出た小さな小川があり、下の谷間の小川と合流している。
この小さな小川には集落を区分する境界の意味があるのであろうか、翌年再訪したときに、この場所の側で悪霊祓いの呪標を見た。
確認はできなかったが、ツーボー以外にも病人などに憑いた悪霊を祓う呪術者がいるとのことである。
別の報告では、他の村には女性の呪術師が病気治しを行っているという。

*033 撮影:1991.08.30(ラフの村)

そして、この両方の小川が合流する西側の谷間に集落とは離れて学校がある。
狭いながらも平地になっており、広場には木造の校舎が建ち、その外側に水田と畑地が広がっている。
校舎は木造の建物であるが、しかし今は使用されていない。
村人の希望で数年前に学校を建てたものの、チェンマイ県から派遣された先生が一年たらずで去ってしまったからである。
今は、子どもたちは一時間かけて山を下った学校に通っている。
いずれにしても、外界とは地理的に隔り、谷間に開けた空間に集落があり、小さな空間的世界が形成されていることになる。

*034 撮影:1990.08.04(ラフの村)

 村人の住居空間は、基本的にはベランダとそれに続く囲炉裏のある台所兼居間と寝室の母屋の二つの棟からなっている。
母屋の寝室の夫婦の部屋は竹囲いで仕切られ、隅に家の神が祀られているという。
母屋の棟は、どの家も居間よりもやや大きい。
また、住まいの近くには、高床式の穀物倉を持っている家も見られる。

*035 撮影:1991.08.30(ラフの村の小学校)

 この村のCHさんの家を了解を得て訪ねることができた。
CHさんの家はやや高い斜面にあつて、家の前が広場になっている。
CHさんは37歳で、 6人家族である。
その構成は母親と夫婦、男の子が二人と女の子が一人で、現在年上の男の子はチェンマイに出て、仏教のお坊さんになるために修行中であるという。
ラフの人びとは母系制といわれ、妻の側の父母と同居するのが一般的であるという。
この家でも老人との同居がみられる。

*036 撮影:1991.08.30(ラフの家族)

(以下、一部省略)

 ラフの人びとは他の社会の人びとと同様に、自らが制作した優れた伝統的な民族衣装を着用している。
服装は神話など自文化の表象であるといわれ、衣服の形状や刺繍に独自のデザインがみられ、またそれは民族間や支族間の区分を表わす上でも重要な役割を果たしている。
ただ、近年では、日常は市販の衣服を着用し、伝統的な衣装は儀礼服に変わりつつあるように見受けられる。

*037 撮影:1991.08.30(CHさんの奥さん)

 服装にみるラフの人びとの特徴としては、別の資料によれば次のような点が挙げられる。
黒ラフに属するラフ・ニーの女性の服装は、短いT字型上着と、足首までの長い筒形のスカートからなる民族衣装を着用している。
上着は黒か青で、袖口、袖付け、前立て、裾まわりに赤の幅広い縁取りをつけ、前開きはつき合わせで、銀の大きな円盤をボタンにして止めたもの、スカートも黒か青で、裾に赤の縁取りがあり、また腰のあたりに横に赤い布を縫い合わせるとか、刺し子や刺繍が施されたものを着用している。

*038 資料:ラフ・ニーの女性の服装(カノミタカコ『神話の人々』紫紅社1991年より)

男性の衣服は黒の上着と黒か青のズボンからなり、上着の前は斜め開きか中央開きで、上着の胸元、袖口などに赤、白、青などの布を縞状に重ねて丹念に縫った飾りが付けられ、祭りなどには泡状の銀や銀貨が飾り付けられた衣装を着用する。

 また、男女とも赤い縦縞模様のショルダーバックを常用している。
また、ラフ・ナーの女性の服装は、黒の厚手の手織り木綿に刺繍を施した上着とアンダースカートからなり、上着は中国風に長く、立て衿で、斜めの前開き、両脇に深いスリットが開いた衣装を着用している。

*039 資料:ラフ・ナーの女性の服装(カノミタカコ『神話の人々』紫紅社1991年より)

装飾は衿開きに沿って銀のボタンなどが飾り付けられ、スリットの両側や腕、袖口には、他のラフとも共通する独特の幾何学模様のパッチワークが縫いつけられている。
また、男性は黒の上着とズボンからなり、上着には赤と白でシンプルな刺繍が施された衣装を着用している。

*040 資料:ラフ・ナーの女性の服装(絵はがきより)

 さらに、ラフ・シェレーの女性の衣服は、大人も子どもも黒地に白い布地を重ね縫いしてトリミングしたコート風の上着と黒のキュロット風のズボン、足には脚半を付けた出で立ちである。
上着は前開きで、丈は膝が隠れるくらいに長く、両脇にスリットが開いている。
この上着の前立て、肩、袖、裾には白いテープのような布でトリミングが施されている。
また、胸の前開きには、装飾用の銀の円盤を付け、ボタンの役目も果たしているが、正月には上着にありったけの銀を縫い付けて飾り立てる。
男性の上着は黒で、前は斜めに開き白い裏地をつけて袷仕立で、ズボンも黒である。
頭には黒い丸型の帽子を被っているなど、この支族の特徴をよく示している。

*041 資料:ラフ・シェレーの女性の衣服(カノミタカコ『神話の人々』紫紅社1991年より)

 そして、黄ラフに属するラフ・シーの女性の服装は、黒を基調とした短い上着に赤い布や刺繍で模様を施し、筒形のスカートをはいた姿である。
また、ラフ・バンキオの女性の服装は、上着が他の支族の技法や様式が取り入れられ、スカートだけが黒の筒形で統一された衣装である。
この他、白ラフに属するラフ・クーラウの女性の衣服は白い衣装と黒い衣装を持ち、特別のときには白い衣装を着る。
白い衣装は茶綿を紡いで、縞や格子状に織り込んだ布で作られ、短い上着と長いスカートからなっている。
黒い衣装は、丈の長いガウン風の前開きの上着で、下に長いアンダースカートをはいている。
上着は両脇に深いスリトがあり、両側に細かいパッチワークのアップリケが付けられている。

*042 資料:ラフ・シーの女性の服装(絵はがきより)

 このラフ・ラバの村の男性は市販の普段着を着ているが、女性は民族衣装を着ている人も多い。
民族衣装は、固有の伝統的な模様を針を用いて精緻な刺繍や重ね縫いを行い複雑で多様な色彩の衣装として作り上げたものである。
婦人の服装を見ると、上着は緑の生地を基本とし、前見ごろを右脇で銀のボタンで二カ所止める形式のもので、襟と首もとから右脇にかけて赤と白の生地を用いて細かく重ね縫いしてトリミングし、袖口も赤い布で重ね縫いがされている。

*043 撮影:1990.08.08(90年度麗澤大学東南アジア研究会主催によるタイ山地社会のスタディーツアー、ラフ・ラバの服を着た女子学生さん)

細かい模様だが、ラフ・ニーやラフ・ナーの人びとと共通する特有の鋸歯紋が入っている。
ズボンは黒地で腰と裾にトリミングがされて飾り付けられ、特別なときには右肩から左脇にショルダーバックを掛ける。
バックは黒い生地に赤と白の生地でトリミングを施したもので、はっきりとした鋸歯紋がみられ、紐はやはり赤と白の縞模様である。
このように、ラフの人びとの衣装は黒などの色を基調とし、共通の模様を共用しつつも、形やデザインなどが少しづつ異なるなど、独自の衣装として発達させてきた。

*044 資料:中国のラフのショルダーバック(絵はがきより)

三 ラフの人びとの宗教

 一 仏教と伝統的信仰
   (省略)
二 農耕儀礼
   (省略)
三 ツーボーの祭壇と儀礼
 ここでは、CHさんの神殿や儀礼などからラフの宗教的な営みについてみてみたい。
一般に、タイのラフの人びとは村の祭祀を司る呪術宗教的職能者のことを伝統的な名前ではパークー paw-hkuと呼んでいる。
ただ、支系によって呼び方が異なり、ラフ・ニーの人びとはツーボーto-bonと呼び、調査を行ったラフ・ラバのCHさんも村人からはツーボーと呼ばれているとのことであった。

*045 撮影:1991.08.30(ツーボーであるCHさんの神殿と聖林)

中国では、祭司のことをラフ語で「比摩 bi-ma」、中国語で「魔巴ma-pa」(巫師)と呼んでいるという。
一般に、村の祭司は、村人と最高神との中間にあって、間を取り持つ媒介者としての役割を果たす。
神によって選ばれた存在であり、村人への奉仕を行う存在でもあるとみなされている。
支系によってその役割は多少異なるが、ラフ・ニーの祭司者は個人的な依頼に応えて病気治しを行い、村への悪霊の侵入を防いだり祓ったりして共同体の利益をはかり、また供物を捧げて村人の幸運を祈る。

*046 撮影:1991.08.30(ツーボーのCHさん)

また、ラフ・シュレの祭司はトランスに入る能力を持っており、病人に対して病気の原因となっている精霊の種類を見分け、それを送り返すとか、さまよう病人の霊魂を呼び戻して病気を治すなどの儀礼を行うという。

*047 撮影:1991.08.30(ツーボーのCHさん)

 CHさんの神殿は、外には山側に聖林と、その側に神の依り代となる白い旗と柱が二本立っている。

*048 撮影:1991.08.30(聖林と旗)

二本の柱は男女の象徴を表しているようである。
神殿の内部の広さは八畳程度で、祭壇は南向きで、聖林のある山とは横向きの位置になる。

*049 撮影:1991.08.30(二本の柱)

部屋の中の祭具は、中央に祭壇があり、その周囲にさまざまな呪具、神を讃えるための楽器類などが置かれていた。
祭壇の大きさは、四本足で上端に板を置いた形状で、高さ50・横90・幅30センチほどの台である。

*050 撮影:1991.08.30(祭壇)

さらに、台の中央に高さ20・横30・幅20センチの小さな台が置かれ、祭壇は二段からなっている。
上段には、小さな竹籠が置かれ、竹籠の周りには20センチほどの長さの割竹にコットンボールを付けたものが十本ほど刺され、二羽の木彫の鳥が籠の中を啄むような姿で置かれ、また両脇には牛の角を表したと思われる木彫が飾られている。
二段目には幾つかのコツトンボールを糸で結んだものが脇に下げられ、中央にはローソク台として拳大の水晶の原石が置かれており、ローソクが灯されている。

*051 撮影:1991.08.30(祭壇)

祭壇の前の床には、中央に水を入れたやや大きな木の器が置かれ、周囲に二羽の木彫の鳥が水を飲むような姿で置かれている。
器の両脇には木彫の牛の角を表したものが飾られ、周りには頭大の水晶の原石が二個ほど置かれて、ローソクを灯す台にしている。

*052 撮影:1991.08.30(祭壇)

器の前には祭壇の竹籠よりもやや大きな籠が置かれ、同じように十本ほどの竹の棒にコットンボールを付けたものが刺され、そうした籠が四個ほど並べられている。
一つの籠には、コットンボールを付けた竹の棒が 束ねられて入れられている。

*053 撮影:1991.08.30(祭壇)

祭壇の脇の天井には、仏教の天蓋のような笠が下げられ、その周りに小さな木の板が何枚も吊り下げられている。
さらに、白や黄色の旗も四枚下げられている。
楽器は、瓢箪と竹で作った笙、ドラ、シンバル、太鼓が置かれている。

*054 撮影:1990.08.07(祭壇)

三度目の訪問のとき、週間ほど前に葬式があったといい、祭壇に白い布と豚の供犠の代わりに、丸く削った20センチほどの棒で、先端に二本の溝が刻まれたものが数本供えられていた。

*055 撮影:1991.08.30(祭壇)

 これら、それぞれの呪具がどのような意味を持っているかは不明であるが、他の解説によれば白い綿や石などは清らかさや強さを象徴しているという。
特に、一番気になったのは鳥の木彫である。
類似したものはアカの人びとの村の入り口に設置した門の梁にも飾られており、それはあの世とこの世を往来する象徴的な霊鳥としての意味をもっていると考えられているからである。
祭壇に飾られた木彫の鳥もまた、霊鳥としての意味がありそうである。
こうした鳥は稲作を行っている人びとに共通した文化なのであろうか。

*056 撮影:1991.08.30(祭壇)

CHさんの宗教的な役割は、村の祭りや葬送儀礼、個人的な問題の解決などに係わっているとのことであるが、呪術的な問題については別の呪術師が行っているようである。

*057 撮影:1991.08.30(祭壇)

私たちが村を離れるとき、CHさんは神殿で祈りを捧げ、太い木綿糸を作って、旅の安全を祈り、木綿糸を手首に結んでくれた。

*058 撮影:1991.08.30(祭壇)

 一般に、伝統的社会における人びとの世界観には、人間は肉体と霊魂から構成されていると考える霊魂観や自然物には精霊などが宿るとする精霊観など、アニミスティックな観念から構成されていることが多い。
従って、人びとの誕生や成人、結婚、病気、死をめぐって、それらと対処するための複雑な儀礼体系が形成されていることが少なくない。
こうした問題に関わる呪術宗教的職能者として、ツーボーの役割は重要だと思われる。
ただ、ツーボーが執り行う儀礼の詳しい内容などについては未調査であるため、中国の調査報告からその呪術宗教的役割についてみてみたい。

*059 撮影:1991.08.30(祭壇)

(中国のラフについては省略)

 以上は、ツーボー(魔巴)が執り行う呪術的儀礼や葬送儀礼について、中国のラフの人びとの資料からみてきた。
タイのラフの人びともまた、こうした観念の上にさまざまな宗教儀礼を執り行っているものと思われるが、それらについては今後の課題としたい。

*060 撮影:1991.08.30(祭壇)

四 若干のまとめ

 ラフの人びとは、現在中国の雲南省、タイ・ミャンマー・ラオス・ベトナムの北部地域など、東南アジア山地地帯に広く居住している。
調査は、こうした山地に居住する人びとの文化、とりわけ稲作農耕にたずさわる人びとの生活や宗教的営みに関心をもって行ってきた。
特に、この報告はタイにおけるラフの人びとのうち、ラフ・ナーとラフ・ラバの支系の人びとについて行ったフィールドノートを手がかりに、先学の成果によりながらまとめたものである。

*061 撮影:1991.08.30(ツーボーのCHさん)

 訪れたラフの人びとの生活は次のようなものであった。
ラフ・ナーの人びとの村は小高い山の麓から張り出した山稜に造られ、比較的町に近接した場所にある。

*062 撮影:1990.08.04(ラフ・ナーの人びとの村)

村は戸数33軒、人口約 170人で、17年前にこの地にやって来た。
村の施設は広場、村長の家、小学校、教会、村人の家からなり、周辺は陸稲や野菜、果物など作物用の畑などからなっている。

*063 撮影:1990.08.04(ラフ・ナーの人びとの村)

人びとの生活は、近接の農場での仕事、農業、伝統の技術を生かしたハンディクラフトの製作などで生計を立てている。
この村の人びとはプロテスタント系パブチスト派のクリスチャンで、日曜日には礼拝を行い、村の牧師から説教を聞き、ラフ語の賛美歌を歌うなど、キリスト教徒としての生活を営んでいる。

*064 撮影:1990.08.04(ラフ・ナーの人びとの村)

しかし、伝統的な習慣を全て捨てたわけではなく、名付けや葬式、農耕儀礼や正月などの行事は伝統的な習慣によって執り行っている。

*065 撮影:1990.08.04(ラフ・ナーの村の牧師さん)

 また、ラフ・ラバの人びとについては、村は町から離れた山間にあり、38世帯、 191人が住む集落である。
この村の人びとは、ここに一〇年前に移住し、焼畑農耕を中心として生活を営んできた。
近年政府による定住化政策により、さまざまな問題をかかえながらも、人びとは山の間の谷間や斜面を水田や畑地に開き、稲作や穀物栽培によって暮らしを立てている。
この村の組織は村長、古老、呪術宗教的職能者、呪術者などからなり、この村のCHさんは、普段は農業を営みながら、同時に村の精霊を守り、村人の葬式を執り行うツーボーと呼ばれる呪術宗教的職能者である。

*066 撮影:1990.08.07(ラフ・ラバの人びとの村)

また、この村の空間構造は、集落を中心に村の内と外を区分する川、水田、畑地、休養林、山地などの自然の地形と、さらに南斜面に造られた家、道、ツーボーの家と聖林、祭りを行う空間、村長の家、学校などが人工的に配置された小さな空間的世界が形成されている。
さらに、村人の住居空間は、ベランダとそれに続く囲炉裏のある台所兼居間と母屋の二つの棟からなり、母屋の寝室には家の神が祀られている。
なかでも、ツーボーの家の住居空間は、それらに加えて村の神を祀る神殿がある。
室内の構造は、台所兼居間の中央に囲炉裏が一カ所あり、母屋は老人、子供の部屋、夫婦の部屋に区分されているが、その空間構造にはアカの人びとのような男性と女性とを区分する宗教的な特別の意味はないようだ。

*067 撮影:1990.08.07(ラフ・ラバの村の神殿)

この村の女性の衣装やバッグは固有の鋸歯紋を用いた伝統的な模様を精緻な刺繍や重ね縫いによって、複雑で多様な色彩に作り上げた伝統的な民族衣装である。
服装は神話など自文化の表象であると同時に誇りを表すものといわれ、衣服の形状や刺繍に独自のデザインがみられ、また一見してどのグループの人びとであるかが識別できるなど、それは民族間や支族間の区分を表わし、身体的世界を表象する上でも重要な意味を有している。

*068 撮影:1990.08.04(ラフ・ラバの女性の衣装)

 このように、訪れたラフ・ナーの人びとの村では、クリスチャンとしての生活の様子や伝統的な生活について、またラフ・ラバの人びとの村では、村や住居の生活空間、ツーボーと呼ばれる伝統的な宗教的職能者を中心とした人びとの生活などについて、僅かではあるが垣間見ることができた。
以下は、これらの人びとの精神世界、アニミズム、聖と俗、宗教的職能者の役割関係などからみた若干のまとめである。

*069 撮影:1991.08.30(ラフ・ラバのツーボー)

 ラフの人びとの精神世界、とりわけ宗教的生活には、表層部に外来の仏教やキリスト教を受け入れている人びとと伝統的なアニミステッックな観念によって日常生活を営なんでいる人びとが存在している。

*070 撮影:1991.08.30(ラフ・ラバのツーボー)

 ラフの人びとと仏教の出会いについては、タイでは確認できなかったが、中国ではその存在が報告されている。
ラフの人びとがはじめて接したのは、清代初年に中国・瀾滄においてである。
その後、一部の地区で少しずつ伝統的な信仰にかわって、釈迦牟尼を信奉するようになり、仏教典籍と共に、暦法、天文、医学、農業技術なども流入し、ラフ社会の経済的発展と文化交流を促進させた。
今も、多くのラフの村落では仏房が建てられ、大乗仏教が伝えられているというが、具体的な活動内容については不明な点が多い。

*071 撮影:1992.08.11(ラフ・ラバのツーボーの神殿)

 また、キリスト教については、カトリックが1928年にアメリカ人宣教師によって、プロテスタントが1913年にアメリカの教会の伝道師によって瀾滄地域に伝えたことに始まる。
彼らはラフの伝道師を育成し、教会や学校を開き、教義の宣伝、伝道を行い、信者を獲得した。
しかし、後に信者は次第に減少したが、ラフの教徒のなかでは今も大きな影響を持っているという。
特に、タイにおけるラフの人びとの間には、ミャンマーやタイでキリスト教に入信した信者が多くみられ、アニミスティックな信仰を基調としながらも、外来宗教を受容することで、外の世界との接点を広げ、急激に変貌する現代社会に適応しようとしているように見受けられる。

*072 撮影:1990.08.07(ラフ・ラバのツーボーの神殿)

 この他、千年王国運動に類似した新宗教もみられる。
それは、1942年に瀾滄地区の若者であった扎国によって創立された多波教という仏教と伝統的な宗教とを取り入れた宗教である。
自らを天神厄薩であると称し、厄薩とか三仏祖を信仰対象とし、厄薩の偶像を建て、三仏祖を以て政教合一の組織形式とり、表面上は仏教に似た教えによって村々を布教し、仏房を建て儀礼を行って信者を獲得した。
その運動は漢族を滅ぼしてラフの人びとの天下を取ろうというもので、信徒を率いてラフや漢の人びとの住む村落で事件を起こした。
1976年には境外に逃げた教徒が再び集まって、政府に頼るな、政策に寄り掛かるな、漢の人びとの言うことを聞くなと主張し、活動を行ったという。

*073 撮影:1990.08.07(ラフ・ラバのツーボーの神殿)

こうした運動は、中国の雲南地域や東南アジアの各地にもみられることが報告されている。

 また、伝統的な宗教として、アニミスティックな観念が人びとのあらゆる生活の基本となっており、精霊には善と悪を働くものが存在すると信じられ、たとえば家の精霊には適当な供物を捧げ、儀礼を行えば家族を守護するが、反対に怒らせたり、適切な儀礼を実施しなかったときは災いをもたらすという両義的な存在に関する観念がみられる。
また、村の外には、中立か悪意を持った自然の精霊がいて、その精霊を怒らせると、その人を病気にしてしまうと信じられている。

*074 撮影:1990.08.07(ラフ・ラバのツーボーの神殿)

この他、霊魂は肉体の霊的な一部であり、もし霊魂が肉体から離れたり、あるいは悪霊に襲われたりしたときには、病気となるという。
さらに、中国のラフの人びとも、宇宙における自然の変化、生老病死、自然災害などをすべて鬼神の影響とみなし、その存在は両義的であると考えられている。
特に、最高神であるグーシャー、中国では天神厄薩の存在を信じ、それは健康や豊作の恩恵を与え、天と母なる大地を創造し、あらゆる恩恵が与えられる存在であると信じている。

*075 撮影:1990.08.07(ラフ・ラバのツーボーの神殿)

 このように、ラフの人びとの宗教生活には、仏教やキリスト教などの外来の宗教の影響を受けている場合もみられるが、基本的には基層部にアニミスティックな観念を有し、それらが重層化した形で宗教構造を形成しているといえよう。
特に、人びとの霊的存在への観念には、あらゆるものに宿るとされる精霊、人間の肉体に宿るとされる霊魂、最高神などの諸観念を有していることである。
なかでも、霊的存在には善悪の区別があり、また善なる存在のうち特定の存在に対して最高存在としての観念を有している点は注目される。
こうした存在に対して、人びとは細心の注意を払い、人生儀礼や季節の儀礼などさまざまな儀礼を執り行うことで豊かな精神世界を形成しているといえよう。

*076 撮影:1990.08.07(ラフ・ラバのツーボーの神殿)

 人びとが居住するタイ北部から雲南の西双版納にかけての気候は熱帯モンスーンにあたり、雨季と乾季が明瞭に二分された地域である。
なかでも、九月から十月は雨が強く降り、三月は反対に極度の乾燥と高温の酷暑季という二分された自然的条件の中で稲作などの農耕が行われ、アニミスティックな観念に基づいてさまざまな季節の儀礼が執り行われている。

*077 撮影:1990.08.07(ラフ・ラバのツーボーの神殿)

 タイの場合、一年間の農耕サイクルは 2月の新年の祝い、 4月の畑の精霊の家を造る行事、 5月の稲籾の播種、 9月の家の精霊への行事、11月の稲の収穫と稲霊を呼ぶ儀礼、12月のは村の精霊への供犠などである。
また、中国では春節、寨心神祭、火把節など、季節の移り変わりと密接に関連し、そのときどきに合った稲作の儀礼が執り行われている。

*078 資料:中国ラフ村の寨心神(宋恩常編・大林太良監修「ラフ族」『雲南の少数民族』日本放送協会1990年)

 タイでの正月行事では、村の広場に精霊の降臨を迎えるための四本の竹が立てられた新年の木が祭壇として設置される。
祭りには周辺の村々からも参加者がやって来て、他村との交流の場となっている。
新年の木の周りでは民族衣装を着た人びとが、笙と太鼓の音を交えながら踊りを踊る。
また、泉から新鮮な水を汲んできて、この水で互いに祝福を行い、村長は精霊に供物を捧げて、人びとに祝福を祈るという。
また、雲南の新年の祭りは、春節と呼ばれ、12月24日から年越しの準備を始め、一日の早朝、山の泉に清水を汲みに行き神の厨子に供え、古代の英雄である扎努扎別に供物を捧げて、全員で芦笙舞を踊るという。

*079 資料:ラフの正月(James A、Matisoff'The Dictionary of Lahu' 1988 University of California Press.)

 さらに、中国では 6月24日に火把節が行われる。
その由来は人びとの英雄である扎努扎別を偲ぶための祭りであるという。
人びとは祖先に供物を捧げ、村の広場で松明を燃やし、その火で悪霊を払う。
また、寨心神の祭りを行う。
それは村の中心の広場に立ってられた三本の木の柱のことで、二本が男女を、他の一本が公母の柱であるといわれ、この柱の所で神柱の祭りを行う。
神柱には最高神である天神厄薩を迎え、全員でこの柱を中心にして芦笙舞を踊り、平安と五穀豊穣を祈る。
特に、農閑期の祭りは、若者にとってはパートナーを探す機会でもあるといわれる。
同じ祭りは 2月15日や大年の年越し、 8月15日にも行われるという。

*080 資料:ラフの正月(絵はがきより)

 このような一年の祭りにおいて注目される点は、広場の中心に竹や木の素材を用いて柱を立て、民族の最高神を招いて祭りを行うことである。
柱は、天と地、神と人とを結び交流する、いわば宇宙樹ともいえよう。
また、正月の祭りに若水汲みの行事がみられる。
水を汲んできて互いにかけ合う行為は、水のもつ力、死と再生のシンボルとしての意味をもっているように思われる。

*081 資料:ラフの祭壇(James A、Matisoff'The Dictionary of Lahu' 1988 University of California Press.)

また、一年を通じて季節の行事をみるとき、中国では、 6月24日の夏至の頃に行う火把節、12月24日の冬至の頃に行う年越しの祭りは、一年を二分して対応しており、さらに 2月15日の寨心神祭と 8月15日の中秋節は一年を二分して対応するとともに、一年を四分している点は注目される。
人類学者が指摘するように、稲作を基本とする社会においては、必ずしも聖と俗が明瞭に二分されているわけではなく、むしろ季節の変わり目に儀礼が集中していることが多い。
このラフの人びとの儀礼においても、確かに生態学的時間においては二分論が当てはまるとしても、むしろ可変的なものといえよう。

*082 資料:ラフの祭壇(James A、Matisoff'The Dictionary of Lahu' 1988 University of California Press.)

 村の祭祀を司る呪術宗教的職能者のことをタイのラフ・ニーやラフ・ラバの人びとはツーボーと呼び、中国ではラフ語で比摩、中国語で魔巴と呼んでいる。
その役割は個人的な依頼に応えて行う病気治し、村への悪霊の侵入を防いだり祓ったりして共同体の利益をはかるなどの祈祷、また供物を捧げて村人の幸運を祈る供犠の儀礼などである。
また、ラフ・シュレの祭司はトランスに入る能力を持っており、病人に対して病気の原因となっている精霊の種類を見分け、それを祓い、さまよう病人の霊魂を呼び戻して病気を治すなどの儀礼を行うなど、シャーマニックな役割を果たしている。

*083 撮影:1991.08.30(山地社会へは象に乗って。
1991年度麗澤大学東南アジア研究会主催による、タイ山地社会のスタディーツアー)

 ツーボーであるCHさんの神殿は、外に聖林と神の依り代があり、神殿の内部は、中央に祭壇があり、その周囲にさまざまな呪具、床には神を讃えるための楽器類が置かれている。
祭壇の上段には、神を憑依させる依代と二羽の木彫の鳥が側に置かれている。
特に、注目される点は鳥の木彫で、類似したものはアカの人びとの村の入り口に設置された門の梁にも飾られており、あの世とこの世を往来する象徴的な霊鳥、稲作を行っている人びとに共通した文化として、意味がありそうである。

*084 撮影:1991.08.30(タイ・チェンマイにて。
タンブンを行うために準備をするメンバー。
1991年度麗澤大学東南アジア研究会主催によるタイ山地社会のスタディーツアー)

ツーボーとしてのCHさんの宗教的な役割は、村の祭りや葬送儀礼、個人的な問題の解決などに係わり、主に祭司としての役割が中心で、呪術的な問題については別の呪術師が行っている。
中国では、魔巴は高い地位を占め、民族の歴史や文化などに詳しく、ト占を行い、経文を念誦するなど、最も知識のある人物とされている。

*085 撮影:1991.08.30(タイ・チェンマイにて。
タンブンを行うメンバー。
1991年度麗澤大学東南アジア研究会主催による、タイ山地社会のスタディーツアー)

また、摩巴の継承は父子間ではなく、修得的なもので、日常は農業を営み、人びとの依頼に応じて、精霊に働きかけて人びとの平安を祈る祈祷師として、またさまざまな占いによって人びとの病気の原因を探し病を癒す治療師として、あるいは死者の魂をあの世へ送る葬送儀礼の司祭として、さまざまな儀礼を執行する。

*086 撮影:1991.08.30(タイ・チェンマイにて。
タンブンを行った後、僧の経文を合掌して受けるメンバー。
1991年度麗澤大学東南アジア研究会主催による、タイ山地社会のスタディーツアー)

 このような伝統的社会における人びとの世界観には、霊魂観や精霊観など、アニミスティックな観念から構成されており、人びとの誕生や成人、結婚、死などの通過儀礼、あるいは災害や稲作をめぐる農耕儀礼、病気などの突然の事態に対応するシャーマニックな儀礼など、それぞれに対処するための複雑な儀礼体系が形成されているといえよう。

*087 撮影:1991.08.30(タイ・チェンマイにて。
日本の漫画のタイ版を発見。
1991年度麗澤大学東南アジア研究会主催による、タイ山地社会のスタディーツアーより)

 以上は、タイにおけるラフの人びとの調査を通じて、人びとの生活や宗教的営みについて、フィールドノートと資料を手がかりに、若干の報告を試みたものである。
わずかな調査で、調査不足は否めないが、はじめにも触れたように、今後の調査に向けてのまとめであり、むしろ残された問題の方がはるかに多く、それらについては今後の課題としたい。

*088 撮影:1991.08.30(タイ山地社会にて。
1991年度麗澤大学東南アジア研究会主催による、タイ山地社会のスタディーツアーより)

注:参考文献
1、中尾佐助『栽培植物と農耕の起源』岩波書店 1990年 頁59-75
  上山春平『照葉樹林文化』中央公論社 1969年
2、中国のラフの人びとの呼称や人口、居住地については、次の文  献によった。

  陳烱光・李光貨共同編集『ラフ族簡史』雲南人民出版社1986年
*089 撮影:1991.08.30(1991年度麗澤大学東南アジア研究会主催による、タイ山地社会のスタディーツアーを掲載した、アサヒグラフ紙面)

  宋恩常編・大林太良監修「ラフ族」『雲南の少数民族』日本放  送協会1990年 頁48-57
鮑明秀『双江ラフ族瓦族布朗族泰族自治県概況』雲南民族出版  社 1990年
3、ベルナツィーク著・大林太良訳「ラフ族」『黄色い葉の精霊?  インドシナ山岳民族誌?』平凡社(東洋文庫108 )1986年 
  頁234?249
  雲南省編輯委員会編『ラフ族社会歴史調査』雲南人民出版社   (一)(二)1982年    
*090 撮影:1991.08.30(1991年度麗澤大学東南アジア研究会主催による、タイ山地社会のスタディーツアーを掲載した、アサヒグラフ表紙)

4、ラフの人びとの居住地については、次の文献によった。

  James A、Matisoff'The Dictionary of Lahu' 1988 University   of California Press.
  現在のラオスの民族事情については、制約もあって調査が困難  であるが、1995年 5月 6日のTBSテレビによる「ラオス特   集」で北部地域にアカやラフなどの人びとが生活していること  が紹介されていた。

5、拙稿『アカ(ハニ)の稲作儀礼』麗澤大学東南アジア研究会
  1994年
*091 撮影:1990.08.04(1990年度麗澤大学東南アジア研究会主催による、タイ山地社会のスタディーツアーの皆さん)

6、麗澤大学東南アジア研究会により、タイでの調査は1990?92年  の 8? 9月にかけて三回と、中国・西双版納では1991年に一回  実施した。

 主として、拙稿『フィールドノート』1990?92年未発表に基づ  く報告である。

7、タイ国内のラフの人びとの人口や居住地については、次の資料  によった。

  Technical Service Club Tribal Reserach Institute 'Tribal
  Population Summary Thailand' 1989 PP46-49
*092 撮影:1991.08.29(1991年度麗澤大学東南アジア研究会主催による、タイ山地社会のスタディーツアーの皆さん)

8、Paul and Elaine Lewis 'Peoples of the Golden Triangle'19  84 
  Thames and Hudson P202?239
  John R.Davies 'A Trekkers Guide to the Hilltribes Northe  rn Thailand' 1989 Salisbury Wiltshire U.K.
9、カノミタカコ『神話の人々』 紫紅社 1991年 頁15-54 、231-  238 、294-300
同『タイの山より愛をこめて』染織と生活社1990年頁265?300
*093 撮影:1991.08.29(1991年度麗澤大学東南アジア研究会主催による、タイ山地社会のスタディーツアーの皆さん)

10、中野穂積「山の学校」(『地球の歩き方?タイ北部?』ダイア  モンド社 1990年)頁92
谷口己三郎「焼畑農業の行方は」(『地球の歩き方?タイ北部  ?』ダイアモンド社 1990年)頁80。

12、鳥越憲三郎『倭族から日本人へ』弘文堂 1985年頁172-192
11、ジャッケッタ・ヒル 著・嘉田由紀子訳「北タイ、ラフ(Lafu)  族における生活中心としての世帯」『コミュニティ』76?東南  アジアの家族問題 ?1986年地域社会研究所 頁9-28
*094 撮影:1991.08.29(1991年度麗澤大学東南アジア研究会主催による、タイ山地社会のスタディーツアーの皆さん。
チェンマイ大学日本語学科の皆さんと交流)

13、中国のラフの人びとに関する資料については、次の調査資料に  よった。

  「瀾滄県ラフ族社会文化調査」(雲南省編輯委員会編『ラフ族  社会歴史調査』雲南人民出版社一・二 1982年)頁47-61
  雲南省編輯委員会編『ラフ族社会歴史調査』雲南人民出版社   (一)(二)1982年
14、鈴木中正編『千年王国的民衆運動の研究?中国・東南アジアに  おける?』東京大学出版 1982
15、伊藤幹治『宴と日本文化』中央公論社 1984年 頁22?54
古野清人『原始宗教』三一書房 1973年
*095 撮影:1991.08.30(1991年度麗澤大学東南アジア研究会主催による、タイ山地社会のスタディーツアーの皆さん。
チェンライ大学の皆さんと交流)

注;ラフの人びとの村の調査に当たっては、村の農業技術の指導を行っている谷口己三郎氏と山地社会の人びとを救援活動をされているタイ人のピパット・チャイスリンさんにご案内いただいた。

 さらに、CHさんの家には三度訪ね、二度目の訪問のときには宿泊させていただくなど、皆様には大変お世話になりました。
ご案内いただいたお二人、CHさん、さらに麗澤大学東南アジア研究会の諸先生方、とりわけ欠端實教授と竹原茂助教授には記して心よりお礼申し上げます。

*096 撮影:1990.08.08(1990年度麗澤大学東南アジア研究会主催による、タイ山地社会のスタディーツアーの皆さん)

注;この冊子は「ラフの人びとの社会と宗教」と題して、麗澤大学東南アジア研究会篇『東南アジア山地世界におけるエスニック集団』に1997年発表した論文を基に、写真を追加して作成した。

 また、1999年、雲南大学の李子賢教授より、タイ及び中国国内のラフに関する最近の研究論文集をいただいた。
これらは別の機会に紹介したい。

*097

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