テレサ・テンに出会う旅(チェンマイ編)

チェンライ旅行記

ケントマイルドさんの旅行記

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旅行記タイトル:テレサ・テンに出会う旅(チェンマイ編)

旅行期間:2006/08/05〜2006/08/07

旅行記の内容:「二つの中国」に翻弄され、その42歳という短い生涯をこの「チェンマイ」の地で終えたテレサ・テン。
その「死」に関しては実に謎が多い。
「アジアの歌姫」とまでいわれた彼女の活躍は、その歌だけにとどまらず「大陸・中国」にまで影響をおよぼしていた。
それがために・・・、本当の真実は、彼女の最後を見たドイステープとこの白亜の「インペリアル・メーピンホテル」だけが知っている。


参考文献:「私の家は山の向こう?テレサ・テン 十年目の真実」有田芳生著(文芸春秋刊)
HP「Teresa Teng Memorial Page」
http://www.ne.jp/asahi/lily/teresa/teresa/info.htm

写真:「二つの中国」に翻弄され、その42歳という短い生涯をこの「チェンマイ」の地で終えたテレサ・テン。
その「死」に関しては実に謎が多い。
「アジアの歌姫」とまでいわれた彼女の活躍は、その歌だけにとどまらず「大陸・中国」にまで影響をおよぼしていた。
それがために・・・、本当の真実は、彼女の最後を見たドイステープとこの白亜の「インペリアル・メーピンホテル」だけが知っている。


参考文献:「私の家は山の向こう?テレサ・テン 十年目の真実」有田芳生著(文芸春秋刊)
HP「Teresa Teng Memorial Page」
http://www.ne.jp/asahi/lily/teresa/teresa/info.htm

 テレサ・テンは意外と早くからタイを訪れていた。
日本にデビューする2年前(18歳)、すでに東南アジアのコンサートツアーとしてタイに何度も訪れている。
(音楽活動)

 テレサ・テンのチェンマイ訪問は、その20年以上後の話となる(静養)。
94年8月に初めてチェンマイを訪れ、その年12月に2度目の滞在。
この時は年末・年始を優雅に過ごしている。
そして95年4月が最後の訪問となった。

 当初は「ロイヤルプリンスホテル」に宿泊していたが、周辺散策中にこの「インペリアル・メーピンホテル」の存在に気付く。
広い敷地の中に建つこのホテルがよほど気に入ったのか、その日のうちにホテルをチェンジした。

 テレサ・テンは、1973年に初来日(20歳)。
翌年には日本デビューを果たした。
ただ70年代の音楽界といえば、沢田研二やキャンディーズ・ピンクレディーが活躍した時代であり、彼女の日本での黄金時代(?)は84年以降の数々の大ヒット曲がイメージとして残る。

 社会政治背景は、「日中国交回復」にともなう「台湾国交断絶」など無茶苦茶な時代だった。
けれど、それは日本だけで無く世界中が経験したいわば「模索の時代」、そんなエポックメーキングな事件が続発する中で彼女の運命も当然飲み込まれた。

 70年代のテレビ界(お笑い)では「ドリフターズ」の全盛期。
当時は当代歌謡歌手がこぞって“ドリフ”の番組に出演していた時代。
私敵には、この時期のテレサ・テンは、“ドリフ”との競演のイメージが強い。

1979年(26歳)日本入国の際に、偽造パスポートを使って国外退去処分になる。

有田氏の著書はこの件に関してかなり頁を割いて解説している。
「ゴルゴ13」ばりの事件、真実は有田氏の説が正しい。
当時、今では想像も出来ない入出国のチェック(厳しいと言うかあらゆる面で)だったろうし、今のようなコンピュータも無かった時代だから・・・面倒、無駄な時間は、金で解決・・・。
したがって、これは彼女の単純なミスだ。

 この事件を契機に、一時日本での歌手活動を中止。
日本に再来日を果たすまでの5年間は、彼女にとっては大きな時代のうねりに巻き込まれる入り口となった。

1980年代、「大陸・中国」では?小平の時代。

1982年、英国・中国間で“香港返還交渉開始”。


「大陸・中国」では、精神汚染一掃キャンペーンの対象とされる。
曲が”小さい資本主義”なのだそうだ。
”歌詞がポルノ”だそうだ。
「中国の昼間は老?(?小平)が支配し、夜は小?(?麗君・・テレサ・テン)が支配する」と言われた。
今思えば・・・笑っちゃう時代だった。

1980年代のテレサ・テンは祖国台湾に戻ると軍関係のチャリティーコンサートに多数出演していた。
これが日本人の感覚では“?”だったし、「大陸・中国」にとっても“?”だっただろう。
というか中国は「モーホー」だったに違いない。
ただ、彼女の気持ちはひとつ・・・、全世界に広がる華僑の一人として・・「民主的なな生活」。

1984年、5年ぶりに来日。
2?3ヶ月に1回のペースで日本での音楽活動を再開。

「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」「別れの予感」等、ビックヒットを連発。
彼女の最も輝いていた時代だ。

1984年、シンガポールに家を購入。

1986年、シンガポールを離れ、生活の拠点を香港に移す。

1989年、血の弾圧となった「天安門事件」。
彼女の人生、最大の転機はこの事件だっただろう。
この年に逃げるようにフランス・パリへ移住。
(返還が決った香港を捨てて・・)

彼女の「最終章」の始まり・・・。

パリに拠点を移しても、音楽活動をするために日本・台湾・香港等を往復していた。
その合間をぬってはタイで静養していたようだ。


有田氏の著書によれば、チェンマイに行く以前はプーケット等に頻繁に出かけていたらしい。
パリが寒い季節になると暖かいタイに静養に来ていたらしい。

運命は着実に秒読みに入る。

1993年10月、フランスを離れた彼女は、二度とパリの自宅に戻ることは出来無かった。
また、同月に日本訪問。
これも・・彼女にとって最後の日本となった。

 チェンマイでの彼女の行動は、「ホテルでビデオを見ることが多く、それに飽きれば、散歩やジョギング、深夜まで営業しているナイトバザール見学などの繰り返しだった」とある。
(有田氏著書)また、チェンライやメーサロンの国民党の村を訪問したとされる件は・・・有田氏は1頁程の記述がある。
彼によるとこれは単なる小旅行だった。
ただ、村の施設に多少なりと援助をしたのは真実らしい。
(暗殺説の源流・・)

【やっと写真に追いつく(?)】

 テレサ・テンが滞在中は毎日のように通ったという中華料理店「ラタナー」を探しに、早朝ホテルの周辺を散歩する。
がっ発見できず。
朝だったので閉まっていたのか・・。
前夜に飲み屋のおばさんに「店ってまだ在るの?」と確認を入れたのに残念。

 洒落たコーヒー屋があったので休む。
古い民家を改造した凝った作り。
オーナーはファラン。
奥さんコン・タイでスチュワーデスみたいに綺麗(関係ないか・・)。
まっ、「さおだけ屋はなぜ潰れない」的な営業でしょう。
つまり本業は美術商みたい。

 コーヒーを飲みながらしばしたたずむ。
本来なら、「ラタナー」にテレサ・テンが書き記した(サイン)「With The Best Wishes!・・1・1・95」の写真がこの旅行記を飾っているはずなのだが・・・。

 彼女が宿泊したのは15階にあるスイートルーム。
これを2部屋コネクティングして利用したそうだ。
(有田氏著書)ちなみに、写真だけでもと思い15階へ登る。
が、セキュリティーがしっかりしていて・・・追い返される。
「宿泊客だぜ!」と言っても日本語じゃ通じなかった。
”ゴルゴ13”ばりに黙って100B程度渡しておけばと思ったのも後の祭り。
(写真は12階)

 私の泊まった「1210号室」。

 1995年5月8日午後5時15分ころ・・・・15階の廊下で異変が起きる。

 彼女もこの景色を見ていたのだろうか。

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